日本勢はトップを走っていると意気軒昂だったわけだが、アライド社のグ特許侵害とはどういうことなのか。
それより前に、アモルアス金属はまだとても工業化の段階に入っているとはいえないのに、なぜグアメリカの事宋に被害を与えたなどということになったのか。
「全くヒドイ話で輸出禁止指導。
だというのですが、どの会社もまだ輸出なんて全然していないのですよ」増本は譲る感情を無理やりに抑えるような口調でいった。
アメリカに輸出していなかったらIC提訴は成立しないはずではないのか。
「だからヒドイ話なのだ。
アライド杜がICに提訴した(八三・三)ちょっと前に、アメリカの某社としておきましょう。
日本が串毒誌のダンピングをしているという理由でアメリカが対日制裁措置宙開連製品に一00パーセントの関税をかけた)を決めたきっかけとなった。
沖電気事件を思い出していた。
沖電気の説明によると、香港の小さな会社(Mコ−ポレション)の名前を使ったトリックビジネスに散ってダンピングの証拠を掴まれたのだということだが、まさにそれと酷似したやり口だ。
「半導体の場合は、現実に輸出しているわけですが、アモルアス金属は全然輸出していないのですからね。
将来の有望製品で、しかもこのままでは日本勢に席巻されてしまいそうだ。
それなら先制攻撃で潰してしまえ、と毘を仕掛けたわけで悪質きわまりないやり口ですよ」増本は一言叩きつけるようにいった。
それにしても日本勢は世界のトップランナーだと自信を持っていたはずなのに、なぜアライド社の『特許侵害ということになったのか。
アメリカが仕掛ける「日本潰しの「アライド社が基本特許だと称していたものは一九六0年にポ−ル・デュエイ教授(カリォルニア工科大学)以来の公知の事柄でしてね。
全然問題にならない。
もちろん私たちはそのことを主張しました。
げんにICでも私たちの主張がほとんど全面的に認められて、当然、勝った、と思ったのですが、製品のごく一部でアライド社の主張が通って結局全面輸入禁止となってしまった。
九九パーセントこちらが勝っていながら、たった一パーセント向こうの言い分が通ったことで全面輸入禁止とは一体どういうことなのですか」増本は絶叫するようにいい、「本当はもう疲労困舗の極み」だと洩らした。
まさに苛烈な。
インテリジェンス・ウォ−ズに翻弄され疲れ果てたといった表情だった。
「裏切り」も戦略のひとつだが、現在の日米インテリジェンス・ウォ!ズの主戦場はなんといってもコンピュータとその関連機器であり、とくに。
彦棄の米。
半導体だ。
半導体といえば、いまもっぱらダンピングに対する対日制裁に眼が向けられているが、実は同時にすさまじい特許戦争が展開されているのである。
八六年一月、レーガン大統領の知的所有権強化宣言を受けてアメリカ政府、議会の動きがまさに大きなうねりになり出したとき、全米第一位の半導体メーカー、テキサス・インスツルメント(I)が日本の半導体メーカー八社と韓国の一社会一星)を特許権侵害で連邦地方裁判所とICに提訴した。
連邦地裁への訴えは損害賠償と販売・製造の停止であり、ICへの訴えは輸入停止だった。
訴えられた企業は沖電気、シャープ、東芝、日本電気、日立、富士通、松下電器、三菱電機など日本の大手半導体メーカーがずらりと並んでいた。
事件が起きた当初はどの企業も提訴の不当を非難し、徹底抗議を強調したのだが、現在もなお戦っているのは日本電気と日立の二社だけで残りの六社は和解つまり戦うことをやめて屈服してしまった。
一体、半導体特許という戦場でどんな戦いが展開され、なぜ六社は戦うことを諦めてしまったのか。
Iの半導体特許について資料を点検すると、訴えられた日本企業はそれぞれ一九六八年噴からIとの聞にライセンス契約を結んでいるのである。
ライセンス契約を結んでいながら特許権侵害で訴えられ、しかも屈服してしまうとはどういうことなのか。
「六八年から各社とも数年ごとに契約更改を行ってきまして、当然ながら更改の度にロイヤリティは低くなる。
それをくり返してきたのですが、八三年の更改会社によっては八四年、あるいは八五年更改のケ−スもあるのでしょうが、I側が突然ロイヤリティを仰天するほど引き上げたいと要求してきたのですよ」(社特許担当部長)たる額だったということだ。
もちろん日本の各企業ともとてもそんな要求に応じるわけにはいかない。
そこで各社それぞれにロイヤリティの値切りの交渉を行っていたのだが、その途中で突如提訴に踏み切ったのだというのだ。
「日本のエレクトロニクス企業にICのライセンスを妥当なロイヤリティで供与する」ということで、通産省はそのことを条件にIの日本進出を認めたのだというわけだ。
まさに日本登山会社的やり方である。
くり返し記す。
当時、半導体における最先端技術であるICはアメリカの独占物だった。
事実通産省がまとめる工業統計表に。
集積回路。
なる一項日が初めて加えられるのは、一九六七年のことである。
通産省の取引にいわば気軽に応じたのだろう。
永久ライセンスだと、少なくともわれわれはそう理解していて、だから契約更改時にも仮契約のようなことはしなかったのですよ。
日本企業側が甘かったわけでも抜かりがあったわけでもない。
連邦地裁やCでの争いとなると黙契を立証することは無理で、われわれ、そのことを王張はしたのですが結局通用しなかった」大手エレクトロニクスメーカーの幹部は苦笑し、首をふりながらいった。
それにしても八コ了八五年の契約更改に、なぜIは。
仰天するようなロイヤリティの値上げを要求し、しかも交渉の途中で契約担当者を強引にはずし、突如牙をむいて日本勢にいどみかかってきたのか。
翌宅いったん黒字に回復するものの、一九八五年、再度赤字を生み(一億千九百万ドル)、この年の五月、社長のレッド・ビュ−シ−が更迭(新社長ジュリ−・ジャンキンズ)されているのだ。
もちろんアメリカ第一位の単導体メーカが赤字に転落した背景には、一九七六年に、対米IC貿易で三百二十六億九千百万円の輸入超過を記錯した、日本の半導体産業の凄まじい急成長がある。
一九八0年、対米IC貿易は初の輸出超過になり(二十七億九千四百万円)、以来、主武器となった記憶装置によって日本は出超分を急拡大させ、モトローラ、インテル、ナショナル・セミコンダクタ、M等の大手ICメーカーは、次々と市場から撤退した。
窮地に追いつめられたIは起死回生を狙って日本勢に対する交渉から戦争に転じた。
もちろんこうした遥業のヂ辛導体メーカーの経営危掛からの発想転換と戦闘行動はそのままアメリカ政府の。
知的所有権戦争宣戦布告による経緯と重なるはずだ。
「アメリカが、知的所有種戦争。
に踏み切ったのは、単にモノづくりで国際競争力を失ったためではない。
アメリカはコンピュータ、高度情報システムなどの分野では絶対の自信を持っていて、これで世界を抑えられると考えていた。
実はそうでないことがわかった。
コンピュータには重大な陥葬がある」
アメリカが知的所有権戦争に踏み切るきっかけの一つになったというか事件。
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